薬害について
薬
そもそも薬(くすり)とはどういうものなのでしょうか。
くすり【薬】 (新辞林 三省堂) | |
1. | 病気や傷などを治すために,飲んだり塗布したりするもの。医薬品。 |
2. | 化学的作用をもつ物質一般をいう語。火薬・舫(うわぐすり)・殺虫剤など。 |
3. | 心身によい影響を与える物事。「失敗が薬になる」 |
「薬」の「作用・影響」
医薬品は作用・影響の有無があり、一般に、作用・影響のある場合の期待された好ましい作用を「有効性(薬効)」とし、好ましくない作用・影響を「副作用(有害作用)」などと言っています。
薬の不都合な好ましくない作用
いわゆる「副作用」と呼ばれている薬の有害な反応・作用について、WHO(世界保健機関)では以下のように定義しています。
- ・"adverse drug reaction"
- →"A response to a drug which is noxious and unintended and which occurs at doses normally used in man for prophylaxis, diagnosis, or therapy of disease or for modification of physiological function."(WHO Technical Report 498 (1972))
- ・「有害反応(有害作用)」【非公式訳】
- →疾病の予防、診断、治療、又は、生理学的な機能の修正のために人が通常の使用量の薬で起こす、有害で意図されない反応
砂原茂一著「薬 その安全性」(岩波新書,1976)には、「英語には副作用を意味してよく用いられる言葉に adverse reaction と side effect という2つがあるが前者の方がよりしばしば用いられる。日本語の副作用というのは side effect に近い表現だと思われるが、本来は主作用に対する言葉である。しかし1つの薬の作用のうち、どれが主でどれが副かということは決めにくいことなので adverse reaction にあたる適当な言い表し方を作った方がいいかもしれない」とあります。
英語の "side effect" という語は、必ずしもネガティブな(不都合・好ましくない)作用ばかりを意味する訳ではなく、時にポジティブな(好ましい)作用を表す場合もありました。米国では "side effect" という用語は使用されるべきではないとされ、特に adverse event「有害事象」、adverse reaction「有害反応」とは区別し同義語と見なさないよう推奨されています。
The old term "side effect" has been used in various ways in the past, usually to describe negative (unfavorable) effects, but also positive (favorable) effects. It is recommended that this term no longer be used and particularly should not be regarded as synonymous with adverse event or adverse reaction.
→(International Conference on Harmonisation; Guideline on Clinical Safety Data Management; Notice)
有害作用(副作用)の評価
では、薬の有害な作用・影響について、どう捉えるべきかについて、砂原先生の「薬 その安全性」(岩波新書,1976)から引用します。
「副作用は1つの化学物質(またはその組み合わせ)が人間(ことに病気に悩んでいる人間)と出会う場合に起こるいろいろな反応のうち、その個体にとって好ましくないものを取り出して名付けたものである、したがって副作用は
(1) 薬そのもの
(2) 薬の使い方
(3) 患者の体
という3つの条件に支配される。薬という物質がなければ副作用がおこらないことは明白であるが、同時に薬の使い方と生体の条件とによって副作用が起こったり起こらなかったりすることもよく知っていなくてはならない。少量、短期間なら何らの副作用も起こらない薬を、大量、長期に用いると重大な副作用を起こすことが珍しくない。」
「どんな軽微な、あるいは稀な副作用もあってはならないということになると薬そのものが成り立ちがたい。ある程度の副作用を承知の上で薬を活用しなくてはならないが、そのためには許される副作用と許されない副作用を判別することが必要である。
副作用の評価にさいしては次の7つの条件を考慮しなくてはならない。
(1) 効果とのバランス
(2) 代用薬の有無
(3) 副作用症状の重さ
(4) 病気の種類とのバランス
(5) 副作用の可逆性
(6) 副作用の頻度
(7) 患者の特殊な状態とのかかわりあい」
有害反応が予見される時の使用
これらの条件を考慮した上で、薬の有害反応が予見される時、医薬品の使用が許される条件を弁護士の藤田康幸先生が考察されています。(「薬の副作用と薬害」藤田康幸弁護士,1997年5月稿)
「まず第一に、医薬品の、ある作用・影響が好ましいものかどうか(薬効と評価するか副作用と評価するか)という判断自体については、一般的・常識的な判断がありうるだろうが、微妙な場合などには、一般的・常識的な判断と患者自身の判断とが異なることもあり得るのであり、その場合は、作用・影響を受ける患者の基準によるしかないであろう。
第二に、医薬品の作用・影響が好ましいものかどうか(薬効と評価するか副作用と評価するか)という判断について、一般的・常識的な判断と患者自身の判断とが合致する場合でも、薬効と副作用のどちらを患者の生活・生命にとって重視するか、その結果としてその医薬品を使用するかどうかという判断は、自己の生活・生命に作用・影響が及ぶ患者自身の判断が尊重されるべきであろう。
その意味で、原則的・原理的には、医薬品の使用がいかなる作用・影響をもたらすのかについての情報が的確に患者に提供され、その上で、その医薬品を使用するかどうかの最終的判断は患者自身によって決定されるべきであり、インフォームド・コンセント(あるいはインフォームド・チョイス、インフォームド・ディシジョン)が行われるべきであろう。このように解しても、副作用による害が極めて軽微であって可逆性がある場合などには、自己決定権の違法な侵害はないか、それによる損害はないことになるなど、実害はほとんど発生しないと思われる。」
有害反応(副作用)と薬害
藤田先生の「薬の副作用と薬害」において、以下のごとく考察されています。
「薬害とは薬による害(好ましくない作用・影響)を意味すると思われるが、インフォームド・コンセントないしインフォームド・チョイスが行われた上での薬による害は薬害とは呼ばれないであろう。つまり、患者自身が好ましい作用・影響とは判断できず、また、それが発生することを覚悟していなかった副作用が薬害である。
要するに、薬害とは、単に医薬品の科学的な作用・影響それ自体ではなく、インフォームド・コンセントが行われなかったという社会的な要因が加わっている有害な結果としてとらえるべきであろう。」
また、東京医科歯科大学の片平洌彦先生は著書「ノーモア薬害」(桐書房,1995)において砂原先生の示された副作用を評価するさいの7つの条件を考慮し、受認せざるを得ない場合を「副作用」とし、例えば、原病は軽かったのに、医薬品のために重い病気にかかってしまったというように、受認できない健康被害の場合「薬害」と呼び、副作用と区別すべきとしています。そして「この『やむをえない』=『受認できる』かどうかは、その医薬品の使用者が、使用した結果生じうる被害をあらかじめ承知しているかどうかという点が重要なポイントと考えられます」としています。
「薬害」:広くとらえる
「薬害」という単語は「薬」と「害」を組み合わせることによって成り立ちます。「薬害」を「薬」とかかわりのある「害」と広くとらえたならば、ほかにどのような害が考えられるでしょうか。
薬の作用(この場合は効果)を期待して使用し、効果も無ければ害も無かった場合、このような物質は「薬」の名に値しないわけですが、実際には国家が認めれば「薬」として正当性を持つこととなります。
砂原先生の前掲書では「副作用がいたましい犠牲を伴ってではあるが、時日の経過とともにあらわになりやすいのに対して、アイディアは卓抜であるが実際には無効な治療法の場合は、自然治癒力におおわれて、長年にわたって、もっともらしく用いつづけられる危険が一層大きいであろう。」と指摘されています。一般的な理解における「薬害」では、薬の作用・影響に「害」が無ければ「薬害」は無いことになりますが、もし仮に、社会に効きもしなければ害にもならない「薬」が多く流通したならば、どの薬が本当に効くのかと、我々は混乱してしまいます。このような「薬」は、薬の効果を信じて使用している患者さんの適切な治療を受ける機会を妨げたり、あるいは病気を悪化させることの不作為的な役割を担う可能性があります。
また、我々は効くと信じて「薬」を処方されたり、買ったりしています。当然、効果が無いものに高額な薬剤費を支払うのは経済的な損害です。薬とはいえないような意味のない物質が保険薬として認められ使用されていたならば、国家の無駄な支出として国民全体の損害となり、血税が無駄となっているということになります。
砂原先生は前掲書のなかで「より効果が大きいかあるいは同じ程度の効果をもち、より副作用の少ない薬が存在したり、または新しく出現すれば副作用の大きい薬は淘汰される」と述べられています。
製薬会社がより安全で効果のある医薬品の開発を競争し、それが医療の進歩に資すとともに、安全性の低い、また効果の少ない薬品の淘汰に貢献するのであれば問題はありません。しかし、一部に淘汰されるべき医薬品が国の認可取り消しを受けることなく正当性を持ち続け、そのまま存在を許されているのです。
そして──
日本の医薬品事情も、インターネットなどで知的には国境がなくなりつつある現在、海外から奇異の目でみられるのではないかと思います。より安全性の高い薬品があるにも関わらず、死者や障害者が出ないことで深刻ではないが副作用を有するものが未だに認められていたりしています。無意味な薬だったり、血税を無駄使いする医薬品もチェックしてなくしていかなければならないと思います。これらも「害」とみて「広義の薬害」として大いに取り組む必要があると考えるられるのです。
取り上げた項目は、上記のような問題意識から書かれたものです。営業妨害をする意図はありませんし、科学的な根拠に基づいて、安全性を検討したもので、公の利益となればという気持ちで調べたものです。あくまでも一つの意見として参考にして頂けたらと思います。
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