東日本大震災:仙台市宮城野区岡田(鍋沼)と深沼海水浴場近くの津波の跡の様子
連絡が取れなかった患者さんの一人が地震後3週間たってやっと連絡がとれ、元気で自宅の片付けをやっていました。遅ればせながらお見舞いに行き、そのあと付近の津波の後の様子を写真に撮ってきました。4月2日(土曜日の午後)。
≪地図≫
上左の地図の上方(北)にあるのが七北田川、この地図の右方には貞山堀と太平洋があります。この辺りの海岸は長浜といい、津波の被害者が多く出た深沼(海水浴場)につながっています。地図の左方が仙台市の東部有料道路や産業道路です。地図の中心地域は宮城野区の「岡田」といい、海沿いの田園地帯で、海辺には汚水処理場(南蒲生浄化センター)があり、七北田川を挟んで北が多賀城市の中野、蒲生地区、そのすぐ北は仙台新港です。地図左隅の矢印が岡田小学校で、この地域の避難所でした。マルで囲んだ所が鍋沼です。ここは岡田でも津波をもろにかぶりました。上右の地図は汚水処理場近くの貞山堀の脇に立てられていた看板です。警戒地域を遙かに超えた津波でした。
≪鍋沼≫
家々は道路より50センチ以上高い位置に作られていて、津波は1階の壁の汚れからすると2メートル半くらいで、従って津波の高さは3メートルくらいだったようです。 1階が壊れていて、住民は車で逃げるか、家の2階にいて助かったそうです。1階にいたり、道路で逃げ遅れた人々が死亡したのだと思います。この狭い地域で11人が死亡、5人がまだ行方不明とのこと。多くの大木が根こそぎ倒れていたのに対して、笹竹は何もなかったように残っていました。「地震の時には竹藪に逃げ込め」という教えがあるそうですが、津波には役立ちません。
≪七北田川≫
七北田川の堤防に建物が乗りかかっているのを見ると、一時的には津波が堤防を越えたようです。高い電信柱に網のようなものが引っかかっていて、そこまで津波が来ていたとすると、 ここに登っても助からなかったと思います。
上の6枚の写真は田んぼと道路です。田んぼは海水をかぶると数年は稲作ができないそうです。畦は削られ、あちこちに木、車、自販機、耕耘機などが転がっていました。5枚目の写真の遠くに2本の巨大な煙突が並んでいますが、ここは蒲生汚水処理場の隣の廃油などの処理をする会社です。地震の直後、社長さんは従業員(約50人)すべてをすぐ車で避難させ、全員無事だったそうです。6枚目はそこの近くの貞山堀の松林です。
≪お寺≫
近くのお寺。本堂の側面の破損は地震によるものでしょう。墓地は殆どの石塔が倒れていました。
壊れた車、根こそぎ倒れた木と倒れかかった電柱。
上左の写真は近くの仙台市園芸センターで、地面はドロ。上右の写真は産業道路方向に戻って、東有料道路。この有料道路は高さがかなり高く、側面には多くの木が植えてあり、所々に、下をくぐる道路の穴があいています。津波はここで弱められ、ほぼ遮られたそうです。登るのに苦労したそうですが、上の道路に登って助かった人々は多かったそうです。
≪深沼海水浴場近く≫
自衛隊によって海沿いの道路は走れる状態でしたが、深沼海水浴場へ向かう途中の道路脇は一面、ガレキ。家は壊れ、あちこちに車の残骸が。上左の写真の遠くに 見える三角形の山が太白山で、仙台市街はその右手です。上中央の写真は道路脇のローソンの店舗。右の写真は深沼海水浴場へ入る手前にあった「神明社」の鳥居です。夏に日が長くなると、小生は砂浜を散歩するため、この神社社の近くに車を止めて、小道を通って松林を抜け、砂浜へ出て歩いたものです。診療所から車で15分くらいでした。神社周辺には家もかなりの数あって商店もあったのですが、跡形もありませんでした。
宮千代加藤内科医院(仙台市)のホームページ