酒尾馬笑「おくのさけみち」


「出発・旅立ち」

 松尾芭蕉翁、元禄2年(1689)、みちのくを目指して江戸を出発す。日記の冒頭に次の名文句を記せり。

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。・・・」

 それから約300年後の平成13年、酒尾馬笑(サケオ・バショウ)と言ひける者、芭蕉翁の足跡を尋ねんものと、東京を立てり。日記の冒頭に次の迷文句を記せり。

 「酒は百代の好物にして、行き交う人も又酔客なり。樽(たる)の上に生涯をうかべ、瓶(びん)の口とらえて老いをむかふる者は、日々酒を飲み酒をすみかとす。古人も多く酒に死せるあり。余もいずれの年よりか、酒瓶の香りにさそわれ、酩酊への思いやまず、ネオン街にさすらい、去年(こぞ)の秋 マンションの壁のカビをぬぐいて、やや年も暮れ、飲み過ぎて目かすむ空に、白川の関はいつ越えてもよしと、そぞろ例の物気にかかり、心狂わせ、道祖神はどうでもよく、取る物他に手につかず、もも引の破れはそのままに、帽子だけかぶりて、灸の代わりにシップを貼り付け、各地の地酒、先ず心にかかりて、住めるマンションは妻子にまかせ、まず赤チョウチンのノレンの下へ移る。」

 さて芭蕉翁は「むつまじきかぎりは宵よりつどいて」、舟で千住まで送られ、ここで舟を降り、「前途三千里の思い胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。」生きて帰れるかどうかという不安の旅立ちでした。
 一方、我らが馬笑翁といえば、単なる思いつきの出発で、いつものこととはいえ、置いてきぼりになる妻子の怒りと嘆きはおさまりません。馬笑翁、口では強がりを言って出てきたものの、少しの自責感はありました。

 ●酒飲めば 腹が鳴るなり 出発時(柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺)

 ローカル線の列車とタクシーの旅です。列車が走り始めると、会社に勤めていた時のように、腹が鳴り始めました。第一作を作りましたらが、どうも師匠筋の句ではありません。そこで、また次の一句を作りました。

 ●行く春や 子は泣き 妻の目に涙(行く春や 鳥鳴き 魚の目に涙)

 分かっているのですが、アル中と放浪癖は治りません。

「春日部」

 芭蕉らが出発したのは太陽暦で5月16日のこと。日光街道を歩いてまず草加に行き、名物のセンベイを食べ、それから春日部へ行き、そこに宿泊したそうです。馬笑翁は芭蕉らが参詣した春日部の「おおみわ神社」を訪れました。祭られている神様は「木の花咲くや姫」、なんと酒造りの神様ではありませんか。ここで日本酒を飲まねば日本人にあらず。さすが芭蕉翁、最初に立ち寄った神社が酒の神を祭っているとは。馬笑翁、道路端にある自販機でワンカップを買って、神社の境内に戻りました。たまたま境内に咲いていた雑草の花びらをワンカップに浮かべ、風流にも古人をしのんでぐいっと一気に飲み干したのでした。

 ●花ビラで 味つけして飲む ワンカップ

 ●ワンカップ いつも私は 二つ三つ(近所に住む『ぼけせん』「顔役」の庄司謙一氏の体験的一句。)

 しかしそれでも終わらないのがワンカップ、馬笑翁は再び自販機へもどります。

 ●ワンカップ いつも私は フォーカップ

 お賽銭はすべて自販機へ入れてしまいました。

 ●花見客 賽銭よりは ワンカップ

 (記述は支離滅裂で、思いつくまま間歇的、追加的に書いていきます。)

「日光」

 「日光を見ないで結構というな」と言われています。馬笑翁、結構な酒を飲みたくて酒屋を訪問。そこで並んだ酒瓶を見て、一句、

 ●あらとうと 酒屋に並ぶ 高級酒(あらとうと 青葉若葉の 日の光、とうと:尊いのとうと)

 雲岩寺の仏頂和尚の山居跡では、樽入りの酒を運んで来て、飲み始めました。師匠・芭蕉翁の句が浮かんできて一句。

 ●キツツキも 樽はやぶらず 夏木立(きつつきも 庵(いお)はやぶらず 夏木立)

 那須温泉では殺生石を見物しながら馬笑翁、水筒の酒をラッパ飲み。

 ●酒一杯 飲んで立ち去る 柳かな(田一枚 植えて立ち去る 柳かな)

 ●とくり(徳利)取る 手もとや 今は振るえけり(早苗とる 手もとや 昔しのぶ摺)

「飯坂」

 芭蕉翁らは飯坂温泉で貧しい家に泊まりました。土間にむしろ、明かりなしという家でした。夜には雷雨がひどく、雨漏りし、その上、蚤や蚊に悩ませられ、「眠らず、持病さへおこりて消え入るばかりになん」と旅日記に書いています。
 一方の馬笑翁は飯坂温泉へ着き、まず芭蕉翁が宿泊したという家の跡を訪れました。近くの河原に酒瓶を持ってたたずむと、近所の子供が「アー、乞食だ」と叫びました。馬笑翁は「これで芭蕉と同格になれた」と妙にうれしくなり、近くのホテルに泊まり、翌朝まで飲み続けました。翌朝、チェックアウトの時刻に起こされ、「奥の細道」にならって、ホテル前で四股を踏んで車に乗り込み、宮城県をめざしました。

「武隈」

 阿武隈の由緒深き松の木にたどり着きたり。「根は土ぎわより、二つにわかれて」、「先ず、能因法師、思い出ず」と芭蕉翁は書いています。馬笑翁、松の二股を見て、陰嚢法師を連想し、そこで一句。

 ●二股の 枝にふぐりは 見えぬ松(ふぐり:陰嚢)

 迷句をものにした馬笑翁、次は名取川を渡りました。

「笠嶋」

 馬笑翁、まず実方(さねかた)中将の墓を探すとて、愛島(めでしま)を訪れぬ。義理堅く、まず近くの笠島の道祖神を参拝す。昔、実方中将、この道祖神の前を通りし時、下馬せず参拝を怠る。実方、タタリにより落馬して死すを、馬笑翁、知ればなり。この地に「老松(おいまつ)」という地酒があるを聞き、道祖神に捧げんとして、ぬかる道を歩く。やっと小樽一つ買い入れ、まず味わい、神前に少量を注ぎ、あとすべて飲む。酩酊して実方の墓を探すことは忘る。目が覚めて読みたる句、

 ●笠島や いづこ酒樽(さかだる) ぬかり道(笠島や いづこさ月の ぬかり道)



「宮城野」

 馬笑翁、飲み過ぎて宮城野にたどり着いた頃には、もはや泥酔。いささか心あるという医師を探し、受診す。そこの医師に、「断酒すべし」と言われた。最も忌避すべき医師を受診したるを後悔し、安宿にひきこもり、やけ酒を飲む。宮城野萩も見ず。翌朝、靴のひもをむすばんとして、一句。

 ●靴ひもを 指が震えて 結べません(あやめ草 足にむすばん 草鞋の緒)

 ●わらじの緒 むすんでとけない あやめ草(『ぼけせん』顔役・庄司謙一氏作。)

 レンタカーを借りて、塩竃へ向かい、多賀城址周辺の壺の碑(いしぶみ)など歌枕の地を探しました。道の傍らに「酒のやまや」の看板をみつけました。酒の量販店の発祥の地です。

 ●壺の碑や 壺の酒あり 浦霞

 ●神社より 酒のやまやで まず三杯(参拝)

 やまやで買った浦霞、一杯だけと飲んで車に乗った。「末の松山」を探して回るうちに検問に引っかかって、呼気検査を受け、酒気帯び運転で捕まってしまった。ごたごたがようやく決着して一首。

 ●ちぎりきな 一杯だけと 言いつつも 末の検問 酒気帯び 越すとは

いよいよ松島に到着です。

  芭蕉翁、松島を見て、かく記せり。「ちはやぶる神のむかし、大山づみのなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞(ことば)を盡(つく)さむ。」
 
馬笑翁、同じ大山づみの神が作りしものなれば、島より酒と、地酒「浦霞(うらがすみ)」を買う。
 雄嶋が磯に雲居(ウンコ)禅師の別室の跡あり。ウンコ禅師に敬意を表し、まずウンコをして、杯に浦霞をそそぐ。飲むほどに目に霞がかかる。そして一句、

 ●松島や ああ浦霞 目がかすみ

 ●松島や さすが旨いな 浦霞(「ぼけせん」顔役・庄司謙一氏作)

「平泉」

 芭蕉らは石巻を経て、金華山を海上に見て、トイマという所に宿をとり、二十里ほど歩いて、平泉に到着しました。一方、馬笑翁は友人の車に乗せられ、金華山も見ず、石巻も知らずに平泉に到着しました。
 酒瓶を抱いて、中尊寺に降りたって、詠んだ一句、

 ●酒瓶を 飲み残してや 光堂(五月雨を 降りのこしてや 光堂)

 酔眼で見物をすませ、忠実に芭蕉翁の足跡をたどる馬笑翁。上(かみ)街道を一路、岩出山へ向かいました。芭蕉翁は中尊寺での感激に浸るあまり、この上街道では一句も作りませんでした。奥の細道をたどる人々は多いものの、殆どの人は現在、上街道を無視して岩出山へ行ってしまいます。この道路に沿った町の人々は、せめて一句、このあたりで芭蕉翁が作ってくれていたら、今頃は記念館を作り、銅像を建て、芭蕉饅頭などの土産物を作り、町起こしができたのにと悔しがっています。それに同情して、一句、

 ●欲しかった 芭蕉の一句で 町起こし

「尿前(しとまえ)の関」

 出羽の国へ入る関所がしとまえの関です。芭蕉翁が泊まったのは南部曲がり屋風の農家だったようです。我らが馬笑翁ははずれの鬼首(おにこおべ)温泉のホテルに一泊し、風呂に入りました。

 ●鳴子の湯 硫黄のかおり オナラかな

 ●こけしより 一升瓶の 魅力かな

 ●鬼首(おにこおべ) 飲み過ぎたたり しゃれこおべ

 ●飲みすぎて 失禁嘔吐の 枕元(蚤シラミ 馬の尿(シト)する 枕元)

 翌朝、馬笑は、馬の尿(シト)にちなんで、立ち小便をして、次の尾花沢に向かいました。

 ●飲み足りぬ 馬笑が尿(しと)する 関所あと

「尾花沢」

 先師・芭蕉は尾花沢で清風という裕福な紅花商人を訪ねました。仙台と違い大いに歓迎されました。しかし馬笑は訪ねる人とてなく、飲み屋に入り、トコトンいただいたのでした。そして飲み屋の出口を出ようとしたら、ふらふらと転んでしまいました。しかしさすが文学者。自分の姿を先師の句を借りて詠みました。アルコールが入った方が句が次々と浮かんだのでした。

 ●這出よ ノレンの下の 酔っぱらい(這出よ かひがや下の ひきの声)

 ●一升瓶 重たげにして ベニの花(まゆはきを おもかげにして 紅の花)

 ●一升瓶 逆さにもって ぬすみ酒

 ●ラッパ飲み みぞおちあたりが 滝の壺

 ●養老の 水の勢い ラッパ飲み

 ●一句より イッキが気になる ラッパ飲み

「立石寺」

 山形領に立石寺という寺あり。芭蕉翁は「麓の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。」一方、馬笑翁は「麓の坊で酒を飲み、二日酔いにて山上の堂を見ず。」客は皆、山に登り、坊は静寂そのもの。迎え酒を飲み、馬笑翁の作りし一句、

 ●閑(しず)かさや 腹にしみ入る 迎え酒

「最上川」

 最上川が見えました。川の果ては「酒田」の海に入る、と聞いて、田の水に酒の味せぬかと、指をいれて味わうも、ただの水でした。残念に思い、近くの酒屋に入り、主人に澗酒を頼んで、イッキに飲み、そこで芭蕉翁をしのび、作りし一句、

 ●熱き酒 腹にいれたり 最上川

 飲み過ぎがたたって、下痢が始まりました。脱水状態で、フラフラです。見つけた医院を受診し、点滴をしてもらいました。看護婦さんが酒精綿で肘のあたりを拭きました。いい香りがして一句、

 ●世の人の 見つけぬ酒や 消毒用(世の人の 見つけぬ花や 軒の栗)

 もらった下痢止めを飲んで寝ました。翌日、下痢が止まったものの、

 ●下痢止めを 飲んで今度は 便秘かな

 出羽三山にのぼりました。バスで一緒になった酒飲みと一緒に飲んだ缶ビールの空き缶が足下に溜まりました。

 ●これ飲みねー 体崩れて 缶の山(雲の峰 幾つ崩れて 月の山)

 参拝すると、急に自分が情けなくなりました。

 ●語られぬ 酒歴に濡らす たもとかな(語られぬ 湯殿にぬらす たもとかな)

「象潟」

 芭蕉は酒田から象潟へ足を伸ばしました。象潟は今とは違い九十九島といって海に多数の嶋が浮かぶ松島に劣らぬ名所でした。それが芭蕉訪問の約100年後、今から200年前、鳥海山の噴火と地震の際、海底が隆起して、現在は多数の岡が点在する丘陵となったのでした。馬笑が象潟に着いた日、大雨が降り、それを恨むことはせず、またまた飲み屋で飲み続けました。そして翌朝に一句、

 ●けさがたや 夜に深酒 ねむの花


  


 そして越後路を加賀へ向かったのです。芭蕉翁は、「はるばるのおもひ胸をいたましめ」、

 馬笑翁は、「かさねがさねの酒に脳神経をいたましめ」、つい道路に寝てしまいました。

 ●深酒や 道路によこたう 赤ら顔(荒海や 佐渡に横たふ 天の川)

 それでも「神明の加護かならずつつがなるべし」との気持ちで旅を続けます。人恋しい気持ちがするのですが、ヒゲは伸び放題、酒臭い馬笑、相手をしてくれる女性はだれもいません。そこで場末のキャバレーを見つけて入りました。

 ●キャバレーで ホステス居眠り 酒と月(ひとつ家に 遊女も寝たり 萩と月)

 そこで大声を出したのですが、

 ●店も動け わが大声に 無視の風(塚も動け わが泣く声に 秋の風)

 そこで馬笑、次の店を探したのですが、

 ●あから顔 店つれなくも 閉じたドア(あかあかと 日はつれなくも 秋の風)

「太田神社」

 神社にて兜を見物しようと、近くにたどり着くも、急に腹痛が起こりて、一句、

 ●むざんやな みぞおち下が キリキリす(むざんやな 兜の下の きりぎりす)

 酒との戦いに、馬笑翁、まだまだ負けません。そこでもう一句、

 ●行き行きて たふれ伏すとも 酒止めず(ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原)

 飲んだ時はいいのですが、翌朝の吐き気に苦しみます。

 ●今日よりは 吐き気を消さん しじみ汁(今日よりは 書き付け消さん 笠の露)

 みそ汁は脱水の治療によいのです。そのしじみ汁をしみじみと味わったのでした。


「山中・全昌寺・汐越の松」


 北陸本線の大聖寺駅に降り立った馬笑は、西行と芭蕉という二人の風流人の足跡を追います。芭蕉は元禄の昔、お寺に泊まり、そのあと山中温泉で8泊9日を過ごしたそうです。我らが馬笑は山中温泉のホテルに泊まり、西行法師の古歌と妻子をしのびつつ、酒を飲みました。
 翌朝、心に浮かんだのは俳句でなくて和歌でした。我ながら薫り高い和歌ででした。

 ●よもすがら 妻子に酒を運ばせて クソをたれたる 翌朝の床(よもすがら 嵐に波を運ばせて 月をたれたる 汐越の松:西行)

 やはり体験者は違う。名歌をものにした馬笑、黒谷橋の下方に芭蕉堂があり、句碑箱があったので、自分の和歌を書いてその箱へ入れました。その紙には、失禁時代を思い出したためか、すこし香りがするような気がしました。

 汐越の松は現在、ゴルフ場の中に跡があるだけで、松も何もないと聞き、行くのはやめて「吉崎ゴボウ」に向かいました。ゴボウ料理で一杯やるのも悪くはないなと思ったのでした。(あと略)

「敦賀」

 芭蕉はここで盃の句「小萩ちれ ますほの小貝 小盃」を作りました。そこで馬笑は、師匠を凌ぐにはいい機会と、浜に出て貝殻を探して、次の一句を作りました。

 ●小貝捨て 大貝探し 酒そそぐ

 本隆寺という寺に等栽という芭蕉の弟子が書き残した書があるそうです。芭蕉を偲んで、「酒を温め、夕暮れの寂しさ 感に堪えたり」といきたかったのですが、実際にはまた飲み過ぎて、砂浜に寝てしまったのでした。気比の海、色の浜という浜辺だったそうです。

「大垣」

 途中省略して、大垣に着いたことにします。馬笑翁も句作と酒の深淵に沈む心持ちです。

 ●杯の 深みにはまり 行く秋ぞ(はまぐりの ふたみにわかれ 行く秋ぞ)

 友達が数人、集まってくれました。そこで酒会を兼ねた句会を開きました。集まった面々はすでに酔って、一人公園の池に落ちた者もあり、

 発句、馬笑翁
       ●古池や 酔って飛び込む 水の音

 野宿酒好(のじゅくしゅこう)氏、
       ●古池や 水割り作る 水の音

 肝野生涯(かんの障害)氏、続けて、
       ●古池に 酒をこぼして カワズ酔う

 指野古江(ゆびのふるえ)氏、前の二人に対して、
       ●古池に しょうべんをする 水の音

 足野千鳥(あしのちどり)氏、昔の体験を詠んで、
       ●溜め池に 酔って落ちたる 千鳥足

 飲葉酒乱(のめばしゅらん)氏、自分のことはさておき、
       ●赤鬼と 青鬼そろう 酒の席

 結句に馬笑翁は発想を変えて、
       ●デパートや 買わず飛び込む 試飲会

 馬笑翁、それから皆と別れ、伊勢神宮に向かったのでした。頃は秋、朝、もうこれで酒とは縁を切る、と誓ったほどの胃の苦しさはどこへやら、

       ●二日酔い 夕食どきには もう完治

       ●アンコール アルコールと聞こえる 音楽会

       ●うまいとは 思わぬと言って 今日も飲む

       ●酒止める さっき決心 今は飲む

「馬笑翁の辞世の句」

 いよいよ臨終の時がきました。かねてより用意した辞世の句をメモ用紙に書き残しました。馬笑翁、生涯の絶唱です。

       ●旅に病んで 夢は酒屋を かけめぐる


「馬笑翁の最後と死後の作」

 駆けつけた家族に酒を3杯頼みました。これが本当の「かけつけ3杯」でした。

       ●病院で 末期の水に 酒たのむ

       ●飲み納め 最後の酒と もう一杯

       ●今生の 別れの酒と もう一杯

 日本人は死後も酒を飲むのです。酒を墓参りに持っていき、「好きだったから」と墓石にかけるのです。すると、

       ●墓石が かけたお酒を 吸っている


 追悼文、読み人知らず。

       ●西行は花の下 僕腹の上 芭蕉本の中 君瓶(びん)の横

 

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